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国後〔本来の艦名表記は國後。以下「国後」の表記部について同じ。〕(くなしり)は、日本海軍の海防艦。占守型海防艦の2番艦。艦名は運送船国後丸(くなじりまる)〔日露戦争時の捕獲汽船アポロ号。〕に次いで2代目。 ==艦歴== マル3計画の1,200トン型海防艦〔予算要求時の排水量。実際には900トン型として設計され、300トン分の予算×同型4隻分は大和型戦艦に流用したとされる。〕、仮称艦名第10号艦として計画。1939年3月1日、鶴見製鉄造船株式会社鶴見工場〔鶴見製鉄造船株式会社は1940年10月、日本鋼管株式会社と合併。〕で起工。1940年2月23日、海防艦国後と命名。5月6日、進水。10月3日、竣工。本籍を舞鶴鎮守府に定められ、大湊要港部に編入〔大湊要港部は1941年11月20日、大湊警備府に改組。〕。 1941年11月20日、単冠湾で第一航空艦隊の入港に備え哨戒にあたる。12月、軍隊区分津軽防備部隊で津軽海峡の警備に従事。 1942年1月15日、軍隊区分千島防備部隊に編入され大湊-千島列島間で行動。6月、アリューシャン攻略作戦の支援にあたる。7月1日、艦艇類別等級の改正により軍艦から除かれ艦艇の海防艦となり、海防艦国後と命名。同日付で本籍を舞鶴鎮守府に、役務を舞鶴鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる〔昭和17年7月1日付 内令第1179号。〕。11月25日、千島防備部隊は新編された千島方面特別根拠地隊指揮下となる。 1943年7月5日、軍隊区分北方部隊に編入。7日からキスカ島撤退作戦に参加。補給隊に配され特設運送船日本丸指揮官指揮下で日本丸を護衛。第二次行動中の23日、濃霧のため主隊からはぐれる。26日、国後は巡洋艦阿武隈に接触し、ほか数隻でも接触事故が起きる。この事故で損傷した駆逐艦初霜は27日から補給隊に配され、国後海防艦長指揮下で日本丸の護衛にあたる。8月1日、千島方面特別根拠地隊に編入。2日、北方部隊補給隊は幌筵海峡に到着し、国後は北方部隊編入を解かれる。5日、千島方面特別根拠地隊は千島方面根拠地隊に改編され北東方面艦隊隷下となる。 1945年4月10日、大湊警備府第百四戦隊に編入、軍隊区分警戒部隊に配され八丈海防艦長の指揮下で行動。終戦時北海道方面に所在。10月5日、帝国海防艦籍から除籍。12日、帝国艦船特別輸送艦と呼称され復員輸送に従事。12月1日、第二復員省の開庁により舞鶴地方復員局所管の特別輸送艦に定められる。 1946年6月4日、輸送中に御前崎付近で座礁。国後を救援に来た特別輸送艦神風も7日に座礁し、両艦とも放棄された。26日、特別輸送艦の定めを解かれる。29日、残務整理。8月から1947年7月にかけて解体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国後 (海防艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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